時は永禄年間(16世紀)、片野城の城主であった太田資正が武運を祈願し、氏神として片野に八幡神社を建てました。
神社の建立の際に奉納の舞として、諸々の禍を排して繁栄を願う意から排禍ばやしが納められたと云い伝えられています。
現在は、夏(7月)と秋(10月)の例祭に排禍ばやしが奉納され、舞は4つの演目から構成されます。この舞は、当時の戦国時代における社会の全容を芸の中に取り入れたもので、古くから「片野のひょっとこ」や「片野のおかめ」と呼ばれ庶民の中に親しまれてきました。
近年では、奉納舞の他、県内外を問わず多方面にわたり式典や催事等でも披露しております。
また、昭和37年10月に茨城県の無形民俗文化財に指定されました。排禍ばやしの健全な保存と伝承を目的とし排禍ばやし保存会が結成され、長年にわたり伝統を継承しています。